父の生誕100年

昨日は、父の生誕100年の会が、午前と午後に渡って5時間ありました。父は有名でもないし、亡くなって22年も経っているから、人なんて来るのかしらと思っていたら沢山の方が来てくださり学校から来たのか高校生達がいたのには、びっくりしました。私が中学生の時に、父が家族を前に「これからはペン1本で食べて行く」と宣言したのです。私は、不安で毎晩神様に祈っていました。父は宣言通り、母を働かすことなくペン1本で民話や伝説を書き私達を育ててくれました。戦中戦後を生き抜いた人の強さでしょうか…昨日は午後のプログラムにシンポジウムがあり、私と姉も舞台に上がり父の話をしました。何を話すか全く準備してなかったのですが、二三日前になぜか11年前に永六輔さんのことを書いたブログが上がって来て、これだ!と思ってこんな話からさせてもらいました。
『父は多摩川を愛する会をやっていました。永六輔さんは、憲法9条は理解するとかしないじゃなくて、愛すればいいんだ守るは、攻める守るになってしまう…だから、愛したらいいんだと言ってました…父が多摩川を守るではなく愛するにした理由は分かりませんが… 21世紀は戦争がありパンデミックがあり戦う世紀の到来のような感じです。だから愛するということがこれからのキーワードになって行くと思います。昔話は時代を超え語り継がれているのは、昔話に宿る心にあると思います。父は昔話は心のご馳走と言ってました。今こそ、この心のご馳走で心を耕し、私達の一人ひとりの愛を少しでも豊かにしていくことが大切なのではないでしょうか。』と話しました。シンポジウムの後半は会場の人が次々手を挙げ父を語ってくれました。どの人の話の中にも誠実に生きた父の愛が流れていました。最後に手を挙げた息子がおじいちゃんを語りおじいちゃんの孫で良かったと言ってました。 ペン1本で生きた父の人生は間違ってなかった。今なお、沢山の人の中に父が、父の作品が生きてます。私も父の娘で良かった!有難うお父さん。父を感じる温かい豊かな時間でした。

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